福島県石川町の笑顔で心豊かな人生のお手伝い
介護、生前整理、整理収納、防災ライフナビゲーター
住まいのトータルサポートKOKUYA代表
介護インストラクター&生前整理診断士
伊東眞理子です
夫は不安症から認知症予備軍になったのか?
~福島へなぜ越したか~
私の母の介護に、夫は本当に協力的でした。
介護は決して簡単なことではありませんが、
私が自由に動くことができたのは、夫のおかげだったと今でも感謝しています。
私が外出するときも、夫は嫌な顔ひとつせず、母と一緒に家で過ごしてくれました。
「たまには気分転換しておいで」と背中を押してくれるその姿勢に、何度も救われました。
母も、そんな夫のことをよく見ていました。
「奥さんのお母さんを、なんで私が面倒見なきゃいけないんだ、なんて言う人もいるのにね。
嫌な顔ひとつせず、私に付き添ってくれるなんて、なかなかできることじゃないわよ。ありがとう。」
そう言って、いつも感謝していました。
夫も「今までお義母さんにはとてもよくしてもらったから…」と。
母と夫はお互いに感謝し合い信頼し合ってました。
よく母は夫に「こんなわがまま娘で大変よね、申し訳ないわ」なんてことも言い合える
関係でした。
そんな穏やかな日々の中で、私たちは母を自宅で看取りました。
その後、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚を抱えながらも、
夫婦ふたりの時間を大切に過ごしていました。
「ここはどこだろう……急に分からなくなってしまった」
ある日こんな電話がかかってきました。
その言葉を聞いた瞬間、私の中に不安が広がりました。
これは、ただの不安症ではないのかもしれない――。
そんな思いが頭をよぎり、病院での受診を考えたのです。
先ずは心療内科を受診してもらいました。
けれど診察は短く、処方されたのはほんの少しの薬だけ。
これでは根本的な不安は解消されない――
そう感じました。
振り返れば、母の介護中も、夫は本当に協力的でした。
けれどその優しさの裏で、実は大きなプレッシャーを感じていたのかもしれません。
私が外出中に、もし母に何かあったらどうしよう。
自分一人で対応できるだろうか――。
そんな不安を、誰にも言えずに抱えていたのだと思います。
だからこそ、気づかないうちに心にストレスが積み重なっていたのでしょう。
今までと違う……
そう感じるようになった私は、夫の様子に注意を向けるようになっていました。
当時はまだ、記憶力に大きな問題がある感じではありませんでした。
けれど、母を見送ったあと、夫のお酒のことが気になりはじめ、
「ひょっとして、心の疲れが限界なのかも」と思うようになりました。
これから一人で夫を見ていくのは大変だ!と感じた私は、これからのことを考え、思い切って、兄夫婦が居て、敷地内に私達の家もある福島の実家に戻る決断をしました。
自然に囲まれた環境で、空や緑を見て過ごせる毎日。
知り合いも多く、心が落ち着けば、夫も少しずつ元の自分を取り戻せるかもしれない。
そんな希望を胸に、引っ越しを決めました。
「環境が変われば、不安もお酒も手放せるかもしれない」
私はそう信じていたのです。
けれど現実は、そう甘くはありませんでした。
夫は新しい暮らしの中でも、アルコールをやめることができませんでした。
弱いのにお酒が好き…
ロング缶1本のハイボールしか飲んでいないのに酔いが回ってしまい、2階の寝室まで連れて行くのも大変になってましたし、倒れて頭でも打ったらどうしようと、ハラハラの日々が続きました。
お酒が、夫の身体と脳に与える感じが今までとは違って来てる!、と感じるようになりました。
そしてその頃から、記憶力の低下が少しずつ気になるようになってきたのです。
「それ、さっきも言ったよね?」
「昨日も同じことを聞いたよ」――
最初は、私の思い過ごしかと思いました。
でも、同じことを繰り返す回数が増えていき、
私は少しずつ「これは、ただの記憶力低下ではない」と思い始めたのです。
きっとお酒も関係しているとも確信しました。
次回はお酒を辞められた出来事をお話します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
一人で悩まないでください。
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