『心がほどける介護日記』第5話~愛情は形を変えても生き続ける~

笑顔で心豊かな人生を整える
介護・生前整理・整理収納・防災のライフナビゲーター
福島県石川町 くらしのトータルサポートKOKUYA代表

伊東眞理子です

『心がほどける介護日記』
~言葉と想いでつなぐ家族の絆~

『心がほどける介護日記』第5話
~愛情は形を変えても生き続ける~

母の笑顔が教えてくれた“心の整理”

母の介護を通して、
たくさんのことを学び、たくさんの涙を流しました。
そして今、振り返るたびに思うのです。
――あの時間があったから、今の私がいる、と。

穏やかな顔が好きでした

母はいつも「私は兄弟姉妹の中で一番器量が悪いのよ」と笑っていました。
でも私は、母の顔がとても好きでした。

穏やかで、どこか上品で、安心できる。
友人たちから「お母さん、上品な方ね」と言われるたびに、
心の中で少し誇らしい気持ちになっていたのを覚えています。

母は、飾らなくても優しさがにじみ出る人でした。

後悔という“想いの整理”

最期のころの母は、
入れ歯も外したまま、髪も乱れて眠っていました。
「きちんとしてあげればよかったな」と今でも思います。

でも、それもまた介護の日々の“ひとこま”として、
私の心に刻まれています。

母はきっと、
「そんなこと気にしなくていいのよ」と笑うでしょう。
そう思うと、後悔の気持ちが少しずつ「ありがとう」に変わっていくのです。

甥への優しいうわ言

最期の三日間、母はうわ言を言うようになりました。
その中で、忘れられない言葉があります。

それは、母が一番かわいがっていた甥に向けた言葉でした。
生まれた時からずっとそばにいた存在――
母にとってはまるで“もう一人の子ども”のような存在だったのでしょう。

「おかえりなさい。おやつがあるわよ。明日のお弁当はどうする?」

海外にいた甥とオンラインでつないだ時の、あの嬉しそうな母の笑顔が今も目に浮かびます。
きっと心の中では、その時に「ありがとう」と伝えていたのだと思います。

みんな仲良くね

母の最期の言葉は「みんな仲良くね」でした。
自分のことよりも、周りの幸せを願う――
母らしいやさしい言葉でした。

その一言が、
私たち家族を包み込み、
これから先を生きる“心の支え”になっています。

あとがき

母を見送ったあと、
しばらくは心にぽっかりと穴があいた感じがしましたが、母の温もりを想い出すと、

母が教えてくれたのは、
「愛情は形を変えても生き続ける」ということ。

母の笑顔は、今も私の中にあります。
あのやさしい声、穏やかな顔――
思い出すたび、心がほどけていきます。

ありがとう、お母さん。
あなたの娘でいられたことが、私の誇りです。

第1話から第5話までお読みいただき
ありがとうございました

母を5年、愛犬を12年介護し、今夫の介護が始まりました。
介護でも母の介護と夫の介護では全然違うと感じてます。
介護は辛い・暗いのイメージを、笑顔で明るく自分らしい介護に変えていく家族の介護方法をお伝えしております。
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